大鳥圭介 史実

2005年10月29日

大鳥圭介が勉学に励んだ 適塾

 今日は大鳥圭介ゆかりの適塾と、新選組ゆかりの大坂の各所(蜆橋、鴻池邸跡、平野屋跡、八軒屋船着場跡)を散策してきました。

 詳しいレポは例によって後ほど本宅にてアップする予定ですが、緒方洪庵先生の適塾のみご紹介。大鳥圭介ら弟子たちが過ごした大部屋の写真をアップします。

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 思っていたよりはずっと広い部屋でした。でも、ひとり一畳間しか使えなかったほど、弟子たちがぎゅうぎゅう詰めになって生活していた場所でして(汗)。定期的に、成績のいい弟子から順番に場所取りをしたとか。成績の悪い弟子は、夜中に厠に立った同輩に踏まれたり、昼でも灯りが必要だったとか。確かに、窓際は光が入って明るいのですが、陽の当たらないところは厳しいです。

 ちなみに、この二階に上がる階段はとても急でした。小柄だった圭介君には、上り下りは結構きつかったんじゃないかなーと思いつつ、えっちらおっちら上り下りしました。

at 11:00|Permalink

2005年10月18日

大鳥圭介、琵琶湖疎水の仲人となる

 我らがケースケに関連して、ひとつ。

 明治期の大鳥圭介の業績のひとつ、琵琶湖疎水の建設に関わったことについて、ブログで書かれた記事を発見しました。

ブログ「業界人が見た京都観光(匿名希望)」
京都の生命線!知られざるライフライン

 一言で言うと、京都の産業復興のために琵琶湖疎水をつくりたいとする京都府知事と、設計者・建築家となる卵の学生さんを取り持ったということですね。

 明治期の大鳥さんの業績は、この琵琶湖疎水建設への関わり方に見られるように、地味なものです。でも、一歩一歩着実に、明治日本の産業化に貢献しています。


at 20:13|Permalink

2005年10月16日

『大鳥圭介獄中日誌』をさくっと読む

 先日、兵庫県立図書館にてコピーしてきた『大鳥圭介獄中日誌』に目を通しました。
『野史台 維新資料叢書9 日記2』日本史籍協会叢書別編9(昭和48年2月5日復刻)

 基本的には『南柯紀行・北国戦争概略衝鉾隊之記』大鳥圭介・今井信郎(新人物往来社)所収の「南柯紀行」98ページ以降の獄中記と内容は同じです。

 ただ、底本が違うようで、和歌の一部が違っていたりして。

 たとえば、新人物往来社版109ページに掲載されている和歌は、野史台版では掲載順番が違うのですが、うち一首は一字違うだけで微妙に意味が違っているような。
「浮雲に志ばしば影をかくしてぞいよてりまされ月の光りは」(新人物往来社版)
「浮雲に志ばしば願をかくしてぞいよてりまされ月の光りは」(野史台版)

 あと、短いのですが、新人物往来社版ではごそっと抜けている箇所を野史台版で見つけました。それが、坂本龍馬を暗殺したと告白したとされる今井信郎に関連する記述なので、気になります。新人物往来社版では128ページの「九日、昨夜今井信郎横倉甚五郎函館より着、右両人は神木隊杜稜隊岡崎、唐津、桑名其外藩士都合百六十四人と、十一月四日函館出帆同七日夜着、両人より外の者は芝増上寺にて謹慎す、」の後に続きます。
(今井留別諸友)
一別此身元分死
旅塵豈汚寸心紅
請君自是戦双翼
須待団南萬里風
[今井坂本龍馬云々榎本等と秋田を経しは仙台を通のしめす其奪はんを恐てなり]
 [ ]内は注記です……旧かなづかいをうまく読めてないかも知れません、意味がよくわかりません。大鳥さん本人が注記を入れたのかどうかは不明ですので、「坂本龍馬云々」のところは参考になるかわかりません。

 ただ、明治期に『南柯紀行』を出版するに当たって、坂本龍馬を殺害したとの説がある今井信郎との交友関係を伏せるために、この漢詩部分を削除して出版した可能性はあるかもな~と思いました。史料の扱い方もよくわからない素人の戯言ですが。

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 以下の漢詩は、新人物往来社の版にも収載されているのですが、ちょっと思うことがあり、引用(131ページ)。
 蝦夷即事

北溟風雪道三千。 流落誰知壮志堅。
万古英雄九郎在。 一帆破浪着先鞭。
地僻文華未及昌。 千秋偉迹漫茫々。
雪山氷海路千里。 流落無人吊九郎。
西溟百戦幾波濤。 京洛栄華未報労。
孤島空留英傑骨。 威名長与北辰高。
 おそらくは、蝦夷に落ちのびたという説もある九郎義経になぞらえて、自分たちの戦いの思い出を託した漢詩ではないかと、素人ながら想像するのですが……。

 九郎義経を彷彿とさせる戦の達人で、知られていないが「壮志堅」で、かつて京洛に名を轟かし、蝦夷の地に英傑として骨を埋めた……といえば、土方さんを詠んだものではないのかと思ってしまうのは、土方ファンの欲目でしょうか(汗)。

at 19:50|Permalink

2005年10月12日

大鳥圭介の好物

 もうひとつ、大鳥ネタいきます(爆)。

 『大鳥圭介伝』まだ読みさしですが、医学博士・大國眞太郎の談話の中に、大鳥さんの好物についての記述がありました(趣味の第一は読書というのがケースケらしいのですが)。

「食物に就ては蟹、蝦と豆腐とが大の好物にて、殊に神戸の豆腐は好い抔《など》と賞美せられき、蟹蝦類も不消化と知りつつ常に之を下物《さかな》として杯《さかづき》を傾けらるるが常なり」

 ケースケ、エビカニが好物なのか!! 白牡丹も好物です、気が合うなぁ(誰も聞いてないってば^_^;)。

 蝦夷地に渡って、箱館でエビカニを食べたこともあったかも知れませんね。もっとも、大鳥さんは貧乏性(爆)なので、箱館でもあまり贅沢はしなかったんじゃないかと思うのですが。

 エビカニ以外では豆腐が好きと、割と粗食ですが、水のよい神戸の豆腐が旨いと思われるのは粗食の割に舌がいいのかも知れませんね(笑)。

 親戚の橋本家の沢庵が好物だという、粗食では大鳥さんの上を行く土方さん(爆)との会食があったとしたら、湯豆腐に沢庵でオッケー……慎ましいですね(^^)。

at 20:38|Permalink

大鳥圭介のデジタルデータ@ネット

 ふと、Wikipediaで大鳥圭介の項を調べてみました。

Wikipedia 大鳥圭介

 う~ん、記述全体のバランスが今ひとつ……事績としては、「産業の近代化に貢献した」というところをもう少し詳しく書いた方がいいんじゃないかとか思っちゃったりするわけですが。

 それはともかく、掲載されている写真画像の2枚目に注目。大鳥さん、和装で大砲の前でポーズ取ってるじゃないですか(笑)。

 これ、伝習隊時代でしょうか……一緒に写っている「安達敬三郎,」「篠原太郎」をネットで検索してみましたが、今ひとつはかばかしくなかったです。どなたかご教示いただければありがたいです。

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 それから、国立国会図書館の近代デジタルライブラリー「近代日本人の肖像」にも大鳥さん関係のデータが少しあります。

国立国会図書館近代デジタルライブラリー 大鳥圭介

 大鳥さんの著作を、パソコン上で見ることができます……私のパソコンは画面が小さいので、解読はできません(涙)。が、明治期に大鳥さんが訳した『堰堤築法新按 』、執筆した『石炭編.』『阿膠編 』『木醋編』『山油編』、さらに『如楓家訓』をデジタル画像で見ることができますので、大鳥ファンには感じを掴めるだけでも嬉しかったりしませんか?

at 20:17|Permalink