2005年08月

2005年08月31日

8月31日の幕末ニュース

 今日の幕末ニュースは、芝居やドラマの話だけになりました。

勘三郎「汚名晴らしたい」
 「ドラマは幕末を生きた長岡藩の重臣、河井継之助を描いたもので、勘三郎が『30歳のときから演じたいと思ってた』というほど以前から思い入れのあった人物。中立を目指したが、戦争の悲劇で生涯に幕を下ろしたが、故郷・長岡には『河井憎し』という感情もあるそうで『汚名を晴らしたいという気持ちもある。大きな節目(襲名)に演じることができて、うまく演じられたらといつも以上に思ってます』とやる気満々だ」。
中村勘三郎、襲名記念ドラマ制作発表
 「越後長岡藩の家老・河井継之助の42年の生涯を描く。継之助の生き様にほれ、10年前からドラマ化を熱望してきた勘三郎は『今生きていたら、いい政治家になったよね。トップ当選すると思います』と衆院選の公示日を意識して迷走する政治家をチクリ」。
 ともに、昨日のニュースに追加です。勘三郎さんが地元の「河井憎し」という感情を知りつつも汚名を晴らしたいと決意を述べた、ということでしたので、改めて紹介しました。
 戊辰戦争で敗者となった他藩と同様、故郷が戦場となった上、敗戦後に辛酸を舐めた長岡の方々にはそのような感情もあるだろうと理解しつつ、一方で河井継之助が幕末維新の時期にどのような考え方で生きて死んでいったのかが広く知られればいいなと思います。

 もうひとつは、舞台ニュース。
松たか子が男になる!12月野田秀樹舞台で
 「幕末、開成塾で学ぶ女塾生の三条英(はなぶさ)は「選ばれし者は理想のために罪を犯しても許される」という思想を実行する」というストーリーだそうです。
 野田秀樹脚本・演出、共演に古田新太・宇梶剛士と『新選組!』出演者の名前があり、舞台に疎い白牡丹も見たくなります。




2005年08月30日

8月30日の幕末ニュース

 今日の幕末ニュースは2本です。

東京
池上本門寺「松濤園」、一般公開が始まる
 「蓮宗大本山の池上本門寺(東京都大田区)の奥庭として知られる『松濤園(しょうとうえん)』の一般公開が29日から始まった」。
 幕末との関連は「また、1868年には、西郷隆盛と勝海舟が江戸城の明け渡しの会見場所として知られている」……東京の実家にいたら、結構ご近所なんで足を運んでいたところです。

エンターテインメントニュース
勘三郎さんが無料公演 中越地震の復興支援で
 「歌舞伎の中村勘三郎さん(50)は30日、新潟県中越地震の復興を支援する無料公演を、10月27日に新潟県長岡市の同市立劇場で開催すると発表した。息子の勘太郎さん(23)や七之助さん(22)と『連獅子』などを披露する」。『新選組!』で藤堂平助を好演した勘太郎さんも出演ですね。
 しかし、もっと気になるのは、次の文章。「勘三郎さんは、知人を通じて同県の旧山古志村の人々と交流があるほか、年末のテレビドラマで幕末の長岡藩家老河井継之助役を演じることから無料公演を決めた」……ええっ、年末のテレビドラマで河井継之助を演じるって、皆さんご存知でしたか?
 司馬本のドラマ化でしょうか、オリジナルでしょうか、すっげー気になるんですが……どなたかご存知の方はいらっしゃいますか?
 ……長岡藩で思い出しましたが、ところで小泉首相は『米百俵』のこと、まだ覚えておいででしょうか(汗)。

☆★☆★

 8/31追記。スポーツニュースでもう少し詳しい情報が出ていました。
勘三郎 親子連獅子で被災地激励
 「また、勘三郎は幕末の長岡藩士の生きざまを描く『河井継之助―駆け抜けた蒼竜』(日本テレビ、12月末放送)に主演することも併せて発表した」。
襲名記念でついに実現、勘三郎“念願”の継之助演じます!
 「幕末の越後長岡藩の家老、継之助の波乱に満ちた一生を描いた時代劇。20年前にドラマで福沢諭吉を演じて以来幕末に興味を持ち、継之助という人物を知った。『ずっとやりたかった。なかなか実現できなかったけど襲名記念でやらせてもらうことになりました』とうれしそうに語った」。
 年末に放送される日本テレビ系の時代劇、今回は中村勘三郎主演で河井継之助! 楽しみです。

2005年08月29日

8月29日の幕末ニュース

 今日の幕末関係ニュースです。

宮崎
「龍馬の行動力学ぼう」ファンの2団体発足
 「幕末の志士、坂本龍馬のファンの会『宮崎龍馬会』と『ひむか龍馬塾』が宮崎市で27日、同時に発足した」……宮崎県では初だとか。
[選挙のまちで]
龍馬ファン団体旗揚げ会合で

 2本目の記事は、1本目の記事のサイドストーリーという感じです。

コラム
殿が好んだ!?名菓
気持ち安らぐ庶民の味
会津駄菓子(福島県)

 「鶴ケ城を望む城下町に駄菓子が誕生したのは、江戸幕府が弱体しつつあった幕末の時代。この地に相次いだ不作や水害に加え『天保の大飢饉(ききん)』で苦しむ庶民の不安を案じた会津藩8代藩主松平容敬(かたたか)が、『庶民のための菓子を』と、1848(嘉永元)年、当時造り酒屋を営んでいた『本家長門屋』の店主に菓子作りを命じたのが始まりという」と、起源を紹介。
 松平容敬といえば、容保様の義父。庶民の暮らしに心を配る、なかなかの名君だったようです。

2005年08月28日

8月28日の幕末関係ニュース

 今日の幕末関係ニュースです。

青森
八戸市博物館で義経伝説彩るゆかりの品展示(2005/08/28)
 「三八地方に伝わる源義経ゆかりの品々を展示する特別企画展『ザ・義経~源平盛衰記と義経伝説~』が二十七日から、八戸市博物館で始まった」というニュースですが、なぜに幕末関係ニュースかというと。
 「展示しているのは、三戸町の商家で今年発見された幕末の浮世絵や八戸市内の神社に奉納された江戸―明治の絵馬など四十点」ということで、幕末や明治にも義経モノは親しまれていたということのようです。

東京
界隈ルポ 多磨
 西武多摩川線多磨駅周辺の紹介。
 「人見街道へ出てさらに東へ歩く。道沿いに井戸が保存されている。新選組局長、近藤勇が産湯に使ったものという。ここが生家跡として保存されているのだ。同じ街道沿いの竜源寺には近藤の墓があり、胸像が立つ」というところが幕末関係。
 これ一本だし、史実の新選組に関するニュース性は余りないので、幕末ニュース扱いにしました。

兵庫
温泉町の江戸―維新期克明に 古文書同好会冊子を出版
 但馬地方のニュースです。「温泉町で古文書を研究している「古文書同好会」(田中忠雄会長)がこのほど、同町千原の民家で発見された古文書などをまとめた冊子『温泉町の古記録』を出版した。宝永四(一七〇七)年に湯村温泉の湯が枯れたことや飢饉(ききん)の様子などが克明に記されており、貴重な歴史資料」。
 「『歳来記』は江戸―明治初期までの記録で、地震によって湯村温泉の湯が枯れたため正福寺で祈願したことや、徳川吉宗の治世に通貨の銀含有量が減り、インフレになったために浜坂で騒動が起きたことなどが記されている。生野銀山で起きた一揆の伝聞など、他地域に関する内容も」「『新古見聞―』には、ペリー来航や大政奉還など、幕末動乱期の記述もある」……なかなか興味ある内容です。


高田屋嘉兵衛に関する吉岡忍のコラム

 ビジネス誌『PRESIDENT』1999年6月号に掲載された、吉岡忍の高田屋嘉兵衛に関するエッセイをネット上で発見。

『菜の花の沖』 函館に嘉兵衛の開拓魂を求めて

 函館の街や嘉兵衛に関する記述も面白いが、目を引いたのは以下の部分。
司馬はこう言っている。
《本当の日本は江戸時代の文明、江戸文明にあったのではないか。江戸中期以後のリアリズムを中心とする、技術とものを見続けて思想をつくりあげた代表者たちとわれわれは結びつく》
「技術好き、職人好きの民族」こそ、われわれ日本人の本質なのだ、と。

 そのあとで、さらにこうも言う。
《とにかく明治政府というものは江戸期を否定し、そして明治以後の知識人は、軍人を含めて、江戸的な合理主義を持たなかった。それはやはり、何か昭和の大陥没とつながるのではないでしょうか》

 さりげなく語られた一節を見て、司馬ファンなら、ちょっと待てよ、という気にならないだろうか。  このとき彼はもう幕末から明治という近代日本を舞台にした作品の数々を書き終えている。『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』などの成功は、彼を明治という時代のオーソリティーにしていたはずだった。その司馬遼太郎が、じつは明治を全体としては非合理で、ついには昭和前期の侵略と敗戦を準備した時代だった、と突き放している。

 司馬はこの時期、みずからの歴史観を変えようとしていたのではなかったか、と私は邪推する。少なくとも、迷っていたにちがいない、と思う。作家の足もとを揺るがすのはつねに彼(彼女)自身の作品であるとすれば、司馬を揺さぶったのは一連の明治モノのあとに書かれた『菜の花の沖』ではなかったか。先の発言は、『菜の花の沖』全6巻を書き終えて数年後になされたものである。
 明治という時代をどう位置づけるか、という点について考えさせられる指摘だと思う。